「 2017年08月 」一覧

産後の胸

2歳差2児の母です\( ˆoˆ)/\(ˆoˆ )/
2人とも完母で育てました。
産後のおっぱいの悩み。1人目の時はとにかくただただ乳首が痛い(´;ω;`)
妊娠中、乳頭マッサージ等はしていましたが赤ちゃんはそれを超える吸引力…。
どんだけ伸びるの?と不安になる程吸われる乳首。
よく母親教室で助産師さんが乳首が裂けることもあるんですよって話していたのですが脅しなんかじゃありませんでした!
私は裂けるまではいかないけれど腫れてしまったのと少しの出血。
赤ちゃんが舐めてしまっても平気な薬を処方してもらい授乳後に塗っていましたが、新生児期の頻回な授乳に傷が癒えることもなく、ただただ我慢、痛みとの戦いでした。
ある程度大きくなってくると赤ちゃんもおっぱいを吸うのが上達し授乳間隔も空いてくるので傷も治るし乳首も強くなります!

授乳期は人生最大の巨乳期間でした。
1人目の卒乳後、跡形もなく、むしろ妊娠前より萎んでハリも無くなってしまったおっぱい。
授乳期からの癖できちんとブラジャーも付かなくなってしまったので余計胸が流れてしまいすごくショックでもう水着にはなれないなと思いました。

卒乳後わりとすぐ2人目を妊娠。
するとびっくり!妊娠するとホルモンの影響かハリが戻り胸の大きさもサイズアップしました!
2人目の授乳期はそれほどブランクがなかったおかげか乳首の痛みに悩まされる事もありませんでした(๑´ω`๑)♡
ところが2人目は片方のおっぱいがお気に入りでそちらからしか授乳させてくれなかったのです。
みるみる使わない方のおっぱいは萎んでいき母乳もでなくなりました。
正直服の上からでも分かるくらい左右のおっぱいの大きさの違いが分かったので外出する時はすごく困りました。
ブラジャーはつけられない。きつめのカップインインナーで何とか誤魔化していました。
しかしあまりにきつすぎて授乳している方のおっぱいが乳腺炎になりかけた事もありました。
あと卒乳後も左右のおっぱいの大きさが違ったらどうしようという不安もありました。
さすがにずっとカップインインナーを着るわけにもいきません。
胸の形が崩れるのも嫌でした。
卒乳後は助産院でおっぱいマッサージを受け残っている母乳を絞りきってもらいました。
幸い母乳を絞りきってもらうと左右の大きさは目立つ程変わりはなかったです。
助産師さん曰く、マッサージを受けても左右の大きさが違うままの人もいるそうです。
私は胸の大きさは同じくらいですが乳首の大きさは左右で違うのと乳首の色素が沈殿してしまい色が濃いのが今の悩みです( ・・`)
自宅で簡単にできるおっぱいケアがあればいいのにと思っているところです。

 

それで見つけたのが、これです。

産後のバストケア


今週の星占い

私は現在専業主婦の山羊座です。結婚前は雑誌を見るとまず初めに巻末の「今週の星占い」をチェックしていました。
その中でも恋愛運はどうなっているのかがとにかく気になっていましたが、ほとんど当たりませんでした。当たっていたらもっと早くに結婚できていたと思います。
そして血液型はO型です。よく言えばおおらか、悪く言えば大雑把な性格で正にO型そのもののだと自分では思いますのでそういう意味では血液型占いは当たっているように感じます。
干支は、卯年です。四柱推命占いもしたことがあります。インターネットで簡単に出来るのでよくしていましたがこれは当たりませんでした。
色々な占いなどをした私ですが、自分の性格は生真面目すぎるところです。
約束したことは守らないとと思ってしまってしんどくなることがあります。
ただ基本的には、大雑把なのできっちりできる性格でもないのが自分で残念に思います。でも生真面目すぎて神経質だともっとしんどくなって病気になるだろうから、大雑把でちょうどいいのかと最近感じるようになっています。
周りの人からは、いつもいろんな所に出かけて元気だねと言われます。しかし実際は家で誰とも話をせずにパソコンに向かっているのが大好きです。
すごく気の合う友人と話するのは楽しいですし、またもう会わないような人と話をするのも苦になりませんが、ちょっと知っているけれどもそれほど話が合いそうにもないくらいの顔見知り程度の人と話をするのが、何か話をしないとと思ってしまうので苦手です。
血液型や星座や干支の占いは、当たっている部分もありますが、特に毎日の占いについてはほとんど当たらないと感じています。
悪い結果が出た時は当たらないと思っている方が気分的に楽だからです。

それで、この占いですが、最近面白いものを発見しました。

 

これです↓

http://xn--n8jx07hklaifv91bjrcos0a.nagoya/

 


愛知県阿久比町

 

引っ越しにより5年生の2学期から愛知県阿久比町の英比小学校に通うことになりました。名古屋鉄道河和線の坂部駅の近くにある小学校です。
徒歩通学ですが、その距離は3km以上。自宅は山を切り開いた新興住宅地にあり、住宅街から町内へ行き来する幹線道路は作られている最中だったので、農道や山道を迂回して通学しなければならなかったのです。幹線道路は小学校卒業間近に完成し通学路は2kmに短縮されましたが、それまでは通学に1時間程かかり大変でした。初登校の帰り、同じクラスで近所の女の子が家まで送ってくれました。住宅街は同じような作りの家が多かったので、案内してもらえなければ家にたどり着けなかったと思います。
転校生直後は、かなり緊張して過ごしていました。担任の先生は明るく活気があり、少し変わったルールを決めていました。先生のことを「先生」ではなく「お師匠さん」と呼ぶことになっていたのです。当時の私は、ニックネームで先生を呼ぶような気がして、なかなか呼び方を変えられませんでした。担任の先生が、初めて男性になったことも一因でした。先生は「一人だけから先生と呼ばれてもな~。」と言っていましたが、私が呼び方を変えられる日を待っていてくださっていたようです。
成績は相変わらず、図工が得意で、体育が不得意でした。2学期の図工で版画を作る授業があり、テーマに迷って、転校前の学校で行ったキャンプ実習の飯ごう炊飯を絵にしました。クラスメイトに何の版画か質問された時に、転校後の学校ではキャンプ実習が無いことがわかり、前の学校のことをあまり考えないほうがいいと思うようになりました。その頃はよほど転校前の学校が恋しかったようです。
同級生は元気な子が多かったです。一番覚えているのは、最初に隣の席になった男の子です。転校前の学校の通知表を提出する時に、その子に見られてしまい「5ばっかりある!」とクラス中に聞こえるような大きな声で叫ばれてしまいました。当時は5段階評価の通知表で、実際には3や4も多く混ざっていたのですが、恥ずかしくて何も言えませんでした。早く席替えになってその子と席を離れたいと思いましたが、いざ席替えがあると意外にさびしかったです。
一度、筆箱の金属部分を太陽の光に反射させ、その男の子の周りに光を照らして、ちょっかいをかけたことがありました。その子は、光の出どころがわからず戸惑っていました。ところが急に顔の前がまぶしくなりびっくり。先生が、腕時計を私と同じように反射させて、光を私の顔に近づけていたのです。今振り返ると、心ないいたずらをしたと思う反面、クラスメイトの前で叱られる事無くやんわり注意していただいて良かったと思います。
男の子と女の子グループで張り合いをしたり、男の子の笛を口に近づけられそうになったり、いろいろな出来事がありました。当時は嫌だと思ったことも、今では楽しい思い出ばかりです。3学期の最後には、ようやく私もクラスに慣れてきました。先生をお師匠さんと呼べるようにもなり、個人懇談会で母に「やっと呼んでくれました。」とお師匠さんが言っていたのを覚えています。
その後、町立の阿久比中学校へ進学し小学校のクラスメイトと中学校生活を送りました。転校後の小学校生活は短いものでしたが、お師匠さんのおかげで楽しく過ごせ、その後の学校生活はすぐに慣れて良かったです。